高森太郎の日記。

高森太郎の日記です。

さらに雑感。歴史とインターネット

 キーワード「サダム・フセイン」からたどって、とある方の日記を拝見させていただいて、ちょっと思った。
 この日、このときが教科書に載るときは、やっぱり、たぶん、「国連の査察が行われたが、大量破壊兵器はみつからず、それを受けて何月何日に米国と英国を中心とした軍が侵攻を開始、何月何日まで戦争が行われた。その後、12月、サダム・フセインが逮捕され、翌年X月、新政府が発足し…」などとあっさり(テストに出るキーワードは太字だろうなやっぱり・笑)かかれるんだろうなぁ。
 だけれど、今と違うのは、インターネットと言うものが、今の時代にあるということかも、と思う。
 インターネット上で書かれて、特に拒否しなければ、インターネットアーカイブでもなんでも、おそらく検索可能な形で残っていき、将来、歴史の教科書を紐解くのと同時に、知りたければ検索して、当時の人々の日記、とかいって引くことができるようになっているんじゃないだろうか。膨大な量で、質もさまざまだが、現在でも文章の特徴を解析して行う検索システムの研究が行われている。知りたい情報を知ることができるようになっているに違いないし、また、正確な情報を得ることが難しいけれど、そのとき、どんなことを考えていたか、を知るには、有効な手段であるから、イラク戦争でも、第二次湾岸戦争でもかまわんが、知りたいときに、そのときのことが、生に知ることができる環境。そうすれば、ずっと今とは歴史の勉強も違うんだろうなぁ。積み重なった地層から発掘するように、当時のインターネットを紐解いて学習する……たのしいだろうなぁ。
 まぁ、これは、自分が歴史そのものより、その時代の人の日記、とかエッセイとかに引かれる性質だから思うことかもしれないけれど。