高森太郎の日記。

高森太郎の日記です。

 新築祝い、二回目。

 新築祝いの二回目の日であった。 本日は、母方のおじ、おばで、東京方面に出て行ってしまった人たちがいらっしゃる。

 前のときに一緒に呼んでも良かったのだけれど、あまり接点のない地域の方々や、父方の親戚などがいらっしゃるので、そういうひとたちとは話が合わないだろうし、結局泊まっていってもらえないということになるだろうという判断から、二日に分けた……のだが。


 当初の、こちらが考えていた予定では、叔母と叔父、従兄にとまって言ってもらう予定だったのだが、なんと、叔母と叔父は、どうしても抜けられないよう字があるとかで本日返ってしまう。前日は、先に用事を済ますということで、実家に泊まっているので、結局こちらに泊まってもらうことは叶わず、ということに鳴った。



 本日は、10時ごろに徐々に到着し始める。もう代替わりして、前は若夫婦を呼んだためまだ家を見ていただいていないおばさんが、自分の従姉と一緒に到着、さらに、その後、母がバス停に東京から、病気で長期入院している叔父の変わりにやってきた従兄を迎え行き、そしてその後、11時30分を回った頃に千葉の叔父、叔母夫婦が、そして、その直後に東京のおばが到着する。
 そして、しばしお茶を飲んだ後に、いろいろ。

 自分は手伝いをしていたり、色々していたのであんまり挨拶するタイミングを逃したりしたが、ちゃんと挨拶。
 そして、一通り家を見ていただいた後、宴会。ビールを進められて「すみません、後7ヶ月ほど足りません」と言って回るということをやり「ありゃま、まだ19才かね」といわれたり……。
 そして、宴会も一段落付いたところで「みんなで写真を撮ろうかね」と、東京の叔母が言ってくださり、みなで写真をとる。そのときに「家族で撮ったの?」といわれ、「まだです」というと、なんと家族の集合写真のカメラマンまで、千葉の叔父にやらせてしまう。 ありがたい。

 そして、家を眺めつつ話をし、ふたたび家の中に戻り、たけのこご飯などを食した後、時が立つのは早く、あっという間に時間で、東京の叔母と、千葉の叔父夫婦は、同乗して東京へと帰っていった。

 そのあと、近くの叔母と、従兄は残ってくれたので、さらに話をし、9時ごろ叔母が帰り、とりあえず今日は終わった。

 楽しいときが過ぎるのは早い。という。


 千葉の叔父は、実は無効で工務店を経営している、バリバリの大工であり、職人である。なので、家の中をみるときも見方が違う。
 たとえば「この木は、北の方のXXという木だね。すごく丈夫で目が詰まっているから、傷がつきにくい」とか「このきれいな赤い木目は、XXの杉だろう」とか、そういうことを一発で見抜く。さらに「この型の冊子は、空き巣対策が施された最新型だ」とか「あぁ、ここはきっちりやってあるなぁ、」など。
 じぶんにしてみれば、加工した木を見て木の種類を言い当てるのすらすごいのに、その産地まで予想するのは、すごいの一言。いろいろ話を聞いてみると、どれだけ施工してくれた工務店さんが無理をしてくれたのか分かる。ありがたい話である。また、「この切子は……、これはもしかしてXXさんという方が作ってないか?」「たしかそうだと思ったけれど」「あぁ……この方は結構賞をとって有名な人だよ。こういう細いのは、機械ではまだできない。目が折れてしまうからね。そして、手作業でここまでできるのは」とか、さらに知らなかったことをさらに知ったり。


 そういえば、千葉の叔父に会うのは……十数年ぶりだ。母方の祖母がなくなったとき以来かもしれない。いや、そのとき良く合えなかったから、もしかしたらそのさらに前、千葉の叔父の家の新築祝いで上京したとき以来かも……。

 東京の叔母は、ビジネスホテルのチーフのような職をまかされ、すでに65を超えているはずだが、現在でも現役で仕事をしている。お会いするのは、従姉と東京に行って以来だから、8年ぶりくらいか。
 従兄とは、東京で用事を済ましたついでに、叔父のお見舞いに行ったとき以来である。とある流通企業の流通管理の職についている。


 次にお会いできるのがいつか分からないが、新しい家になって、とりあえず人を泊めることはできるようになったので、是非着てほしいと思う。