高森太郎の日記。

高森太郎の日記です。

我が家の猫とわし

 我が家には猫が4匹ばかりいる。雄が1匹に雌3匹。こうやって4匹も猫と暮らせるのは幸せである。古くはひいおばあちゃんの時代からともに暮らしていたらしい。我が家は養蚕を行い、繭を食うねずみは天敵であったため、そのための用心棒として飼ったのである。そして、養蚕はやめてしまった*1今でも、よき家族である。

 いや、家族というより、あれかな、同居人かな。彼らはすごく気まぐれであるし。いつもはしれ〜っとした顔をしているし。たとえなついている人でも、普段はそばにいるだけ。用が無ければよってもこないし。そして名前も、考えて付けた、というより「しろ」とか「ちゃとら」とか、「みーやん」「みろ」とか自然発生的に誰かが呼び始めて、いつの間にか正式名称になってしまったものである。
 (「しろ」は、白猫だから。「ちゃとら」は茶色の虎模様だから。「みーやん」は、三毛猫で、「みろ」は、三毛猫で、さらに前の「みーやん」よりも尻尾が長い(ロング)ので)ちなみにめいめいは基本的に姉と父。

 そんな猫たちだが、なぜ自分にはまったくなつかない。いや、なんか家族としては認めているのだろうが、必ず一定の距離を保っているのだ。普通、姉などには、おなかがすくと、足に擦り寄ってえさをねだる猫も、自分にねだるときは、つ。と座って、こっちをじ〜っと見ている。そして、「お前でもいいから、ご飯くれない?」と目で語るのである。その場合、こっちが一歩歩くと、てくてくとその後ろを、一定の距離を保ってついてきて、ぽす。と座る。そして、じ〜っとこっちを見つめて、目で語るのである。そして、自分が近づくと一定の距離だけ離れる。そして、ぽす、と座って、こちらをじ〜っと見つめる。
 ご飯も、やるのだが、自分が一定の距離まで離れないと食べ始めないのである。

 また、がらり、と障子を開けると、その音に反応して猫がやってくる。そして、柱の影から顔だけ出して、こちらを見「なんだ、お前か」というような顔をして、再び戻っていく。これが姉とかだと、喜んで飛びついていくのだが……。

 いや、まぁ、いいといえばいいんだけどさぁ……。
 なんかさみしいと思った今日この頃。

*1:地元の農協の生糸工場が閉鎖になったのだ