高森太郎の日記。

高森太郎の日記です。

萌えとフェチの違い。 ―― 結構見通しは聞くけれどやたらと広くて深いフェチと萌え。

 先日ってかもうかなり前になるのか、フェチバトンというものをいただいて、よっしゃ! と別人格も含めて全力で答えたのだが、なんというかいろいろと考え、さらにWikipediaフェティシズムおよび萌えなどの項を引いてみて、フェチとはなにか、とか全力で考えて書いてみたりしたのでありますが、やっぱり自分はフェチではなくいわゆる「萌え」のほうなのかなぁ、とか思った部分も少々。もちろんフェチ的な部分もあって、そういうところはやっぱり書いているのだけれど。
 が、その感覚の違いをいまいち表現できなくって、どういうこったら、どうしたら、などと思っていたのだが、そんな矢先作家、わかつきひかる氏がご自身のblogにて非常に簡潔にこれについて一つの説明を書いていらした 。一部引用させていただくと……。


ヒロインにメガネを掛けさせました。これがフェチ。
このコはメガネのせいで、地味な雰囲気になっていて、誰も彼女の良さに気付かない。だけど、このコのかわいさ、綺麗さは、僕だけが知っている。このコは僕だけのものだ。これが萌え。

 うお。目からうろこであります。なるほど。すごくわかりやすいというか、なんというかいままでこう頭のはしっこのほうでつっかえていたものが取れた感じ。たしかにそうだ。というかこれだけ的確に表す言葉があるとは。
 まさに自分の「萌え」「フェチ」感の言語化である。もちろんいろいろな解釈ができるし、萌えってあんまり恋愛に直結するものでもないのでここで非常に「愛情」に近い表現をされているが、それともちょっと違うという感じもなくはない。だけれど、不思議とこれでなんとなく自分の中で固まった気がする。

 ……そうかんがえるといろいろとうろこが取れたように思いつくことがたくさんある。そういえば自分はキャラクターには基本的に、萌えるのはなんというか妙な思い入れがあるときである。そこには何らかの裏づけがあって、そしてキャラクターに萌えるのであり……。そしてその人がじっくりと伝わってくるときにたいして、萌えを感じるというか。
 たとえば……読子リードマン。あれは間違いなく萌えであるというかんじであります。描写の中では徹底して駄目だけれど、なんというかそのひととなり? あとは親近感? そういう感じがなんというかよびさます感じ。

 そして、フェチだと……自分はあんまりこなかったんでありますが……やっぱりあんまりフェチ人間でないが……ゆうきりん氏の「めがねノこころ」あれはフェチが詰まったような小説だと思えます。そういう方面に来るというか。

 あとミックスでいうとあそびにいくヨのエリスでしょうか。猫耳フェチ、といえばそうだけれど、彼女は明らかに萌えであろうと。というかあの「共有」は死ぬかと。


 もっとアレな方向にいくと……十数人のお姉さんがでてきてどうの、というのは明らかにフェチ。だけれど一人の少女が思いを寄せる少年に調教され……みたいなのでこう丁寧に心が描写されていてくるのは萌えか。


 そうやって考えていくと、いろいろ……。キャラクターを記号として使用して組み合わせて作っているものは大抵「フェチ」ということになってしまう。美少女フェチ、めがねフェチ。だけれど、ここら辺もやっぱりだれでもいいというわけではないし……あ、あとは愛情と過渡の切り分けはどうか。
 あ、あとはあれだ、あそびにいくヨのアシストロイドはどうなるんだ? あれはフェチとはちゃうだろ。あ、でもこの場合はあれか、「好き」と「愛している」の違いみたいな……って、ちょっとまって、あれ? あれれ?


……あ゛〜。だめだ破綻した。


 というわけで、だめです、結論は出ませんなこりゃあ。そりゃそうだ、この手のことを考えたのはいくらでもいるだろうし。

 そういえば、自分はこの手の話題はあんまり興味がないといったらそうなのだが、避けてきた部分もある。この手の話題というのは具体的に言うと、○○の定義論である。
 ライトノベルとは何か、SFとはなにか、はてまた、小説とは何か、文学とは何か。
 だけれど、妙に議論をしたり、難しく考えたりするのは自分には向かないが、ざくざくとなにかを種にして考えるのはなかなかたのしいなぁ、と思ったり。まぁその……思考だだもれの文章は今に始まったことではないのですが……。

 まぁ、結論としては人間の感情など色々あるということで。なんじゃそりゃ。意味がわからんんなぁ。だけれど、こういう簡潔にあら和して色々と詰まっている言葉、というのを見ると、なんとなくこういうことを考えてしまうということでありました。