高森太郎の日記。

高森太郎の日記です。

移転でいろいろ発見。 ―― 「頭痛にノーシン」恐るべし。

 今は、新しい家に住んでいるのだが、自分のうまれた家からはまだ引越し中である。なんといっても築120年以上を経過している古い家である。道路がこなければまだ住んでいたとおもう。

 で、そこからいろいろ引っ越してくるのだが、そのときに、たまにとんでもないものが出てくる。姉が生まれた当時の写真、とかそういうものはあたりまえ。姉が使っていた漢字練習ノートとか、父より年上の風情を見せている座卓とか。

 というわけで、昨日、90になる祖母の花嫁道具(!)を家に移転してきたのだが……そこに、なとすげえものがあった。

 というわけで本日の写真。ええ、右から左に読みます。
 昭和八年二月十九日の東京日日新聞記事である。
 新聞を、たんすの下にしいていたため残っていたようだ。ちなみに祖母が嫁入りしてきたのは昭和十年だから、え〜っと。うんと。
 無論戦前である。


 そうやってしかれていたものであるから、一枚しかないのが残念なのだが、すげえものである。祖母は「そんなものがどうした」と言う顔をすて捨てようとするが、あわてて止めて、我が家では保存を決定。でっかい封筒か何か買ってきてちゃんと入れておかねば。


 というわけで興味深く。えーっと、ドーコレータクビ?なんじゃりゃ、ああ、ビクターレコードか。すげえな。というか号が旧字体だ。というか全部旧字体だし。そりゃそうか、戦前だもんなぁ。いろいろ違うなぁ。なんかぜんぜん……ハッ!なんじゃこりゃあ!


 なんとそこで自分が見たものは!「頭痛にノーシン」の文字である!うわ、あの薬ってそんなに昔からあったのか!しかもキャッチフレーズは変わらず「頭痛にノーシン」……。
 ノーシン恐るべし。



 また、そのほかにも、昭和39年に発行された町内有線電話(NTTではない。またケーブルテレビでももちろんない)の電話番号帳なども。
 それをみるとすごい。なんといっても今つぶれてなくなってしまった商店が協賛して広告をだしているのはもちろんなのだが、その番号がすごい。

 一家に一つ番号が無いのだ。
 数件に一つ番号があるのである。そして、交換機は無い。電話を取って「×××番の○○さんお願いします」と電話すると、その電話を手動で、線をつないだ上で、交換手が、「○○さん、○○さん、お電話です」と、湯銭電話についているスピーカーからその地区、同じエリアの人全員に流れるのである。
 そして、「あ、自分だ」と分かった人がその電話に出て、話をするという具合だったらしい。
 だから、XXX番にはこの人たちがいます、という具合に書かれている。
 もちろん「特別番号」と称している直通電話もあった。警察(つながるのは警察官派出所であった)、役場、農協、消防署……ではなく当時は町の出張所であった場所、学校などである。


 ちなみに、電話はそんなかんじなので、同じエリアで番号の人が受話器をとると、簡単に話を聞けてしまう。また、大きな声で話すと(と父は言う)漏話がおきて、防災無線にもつながり、さらに緊急情報のほかに娯楽も提供していたスピーカー(呼び出しにもつかわれる)から声が聞こえたらしい。

 うわ〜。その電話でも、また電電公社がそこまできていなかったころ、貴重な連絡手段であった。

 ちなみにその後その電話は、交換機が導入され、各家にオリジナルな番号が振られて(それでもたまに漏話はあったらしい)町内だけだが定額電話並の品質を導入した後、現在は基線が光ファイバー化、インターネット接続もできるケーブルテレビになって、電話は今のところ町内だけ限定だが、IP電話化している。すさまじい進化である。
 なんか寂しくも感じたり。


 さてはて、実はまだ半分もできていない。父や、祖母ですら知らないものがたくさんでだろうなぁ。なんというか我が家の歴史を整理しているみたいだ。というかそれ以前に自分ももっとまじめに引越し作業をしなければならないのですが。