高森太郎の日記。

高森太郎の日記です。

青春バトン。

id:ISISIさまよりいただきました青春バトン ッ! てかいつの話だよ! ということもありますがまぁそれはその……。実は結構前に草稿は書いてたんですけどそのあの。なんてーかやたらと長く(ぉ

 つうわけで言ってみよう!

Q.1☆小、中、高の中で1番思い出深い時期は?

 小学校六年生のとき。放課後の放送室で告白したら、スイッチが入っていて……。彼女はそのあと口をきいてくれなかったけれど、成人式のときに「わかる? 私よ」と話かけてきてくれていまはまぁそのそういうこともあるってことでいいじゃないですか。
 そのあと結った髪を解いた彼女は、昔と同じ生真面目に切りそろえた髪が、彼女の少しハスキーな声笑うと、とさわさわと揺れるのです。

Q.2☆1番お世話になった先生は?

 高校時代の先生。放送読書部の顧問。

 なんとなく放送部を続けていた僕は、職員室から続いている放送室……というよりも校内放送の機材置き場みたいなところで、なんとなく押し付けられてやっていた……でも、そんなにいやだというわけじゃなかったのだけれど……終業と帰宅を促すテープを流す仕事をしていた。

 自分の母校の部活動っていうのは二種類あって、先生の雑用の手伝いをする部と、純粋に部として存続する部があるようなところだった。 部活動には必ず参加しなければならないから、帰りたい人は簡単な部に入る。たとえば吹奏楽・軽音楽部は部活としてやっていたけれど、音楽鑑賞部、なんてのは音楽室の片付けと管理をやっている、そんなかんじ。

 放送部は先生の雑用を手伝うための部、その典型の部だった。視聴覚室はあるけれど、ちゃんとした放送設備なんてない学校だったから。そして雑用をするような部のなかでは一番活動時間……っていうか拘束時間がながく、帰宅を促す放送を流すまで帰れないのだから、部活らしい部活の人たちより、さらに遅くなるのが第一の不人気の秘密。そしてあの職員室と隣なばかりか扉をはさんで直通の物置のような縦長の部室――放送室をみせられれば、たしかに実際に放送部らしいことをしていた演劇部とかそちらのほうに流れるだろう。

 僕はその種類の部の中で、僕が放送部を選んだ変わり者だった。理由は特にない。まじめというより流されやすい性格なので、単純に小学校・中学校と続けてきた放送部をそのまま続けていた、ただそれだけだったりして。

 そして、その場所がなかなかすごしやすい場所だった。職員室は学校全体を見渡せる位置にあって、職員室の隣ながら、一応防音はしてあって、余計な音はしない。自分はそうやってぼんやりと学校を眺めているのが好きだったし、それほど急いでかえる理由もなかったし。そしてなにより静かで本を読むにはよい空間だった。

 そして仕事といえば時間になったら音楽を流して「時間だ帰れ」というだけ。そして自分も帰ると。その時間になると大抵電車も空いていて座って本を読むことができたし。


 放送部はさらに先生たちの中でも人気が低かったりした。 なぜかといえばがんばって部員を確保して、その上で穴が開けば自分が放送を流す役目を果たす……というか僕が来るまで半分は先生が流していたらしい。
 そしてその顧問を体よく押し付けられたのが、その赴任してきたばかりでまだ担任も持っていないその先生だった。

 先生はなんとなくいつもいっぱいいっぱいな感じだった。私立の美大を出たて。なんか背が高くって、あだ名は「大嬢」。理由はでっかくておっとりしていて美大出身出し“お嬢さま”っぽくおっとり天然だったから。一番最初に母校に配属。二年生のベテランの「イモリ様」こと森下先生のクラスで副担任。

 顧問と言っても日々同じことの繰り返し。だからあんまりまともに話したことがなくて半年。ある日突然コーヒーをもって現れたのが一番最初の遭遇。「ご苦労様。コーヒーでもいかが?」 学生にコーヒーをもってくる教師などどこにいる。と、八百屋で魚を見たような目で先生を見たと思う。

 今考えるといつも一人で本をよんで帰っていく自分のことに話しかけにくくって、なんとか話しかけたんじゃないだろうか、とか思ったりするけれど。

 それなりに話すことは嫌いじゃない僕は、本を閉じて先生に向き合った。そこがなんか気に入ってくれたららしく、そのあと……朝の放送は朝が弱い先生はなんか僕より来るのが遅かったのであんまり接点はないけれど、夕方は、時間があるとその縦に長く、西日の入る物置のような放送室で、ぼんやりと話をするようになった。

 不思議と何を話していたかは覚えてない。だけれど、そのうち先生が持ち込んできた本のタイトルは覚えている。別に僕は先生と話すのはいやって言うわけじゃなかったけれど……少なくとも、駅前の古本屋で買ったカバーのない3冊100円の本よりはたのしかったと思う。だけれど、先生は読書をじゃましたら悪いと思ったのか、気がつくと、隣で本を読んでいる。そんな感じでぼんやりと本を読むようになった。


 なんだろーな。変な感じだったとおもう。先生が読む本ははじめは授業で使う本だったが、だんだんこなれてきて、時に当時時のタレントのエッセイだったとおもえば、どこから仕入れてきたのかもしれないふるい文庫を呼んでいたときもあった。そしてバイトもしてなくて、このときすでに日々のお金を本につぎ込んでいた僕は、そうやって読んでいると本がなくなって、交換して読むなんてこともなんとなく始まった。


 で、この先生になにをお世話になったかというと……それは、僕はこの先生のおかげで、コバルト文庫や少女マンガの世界を知ったのだ。 はじめはけっこー驚いた。 なんか珍しく本屋さんのカバーをつけたままの本をもってきたのでのぞいたら、マンガだったのである。それもひと目で少女マンガだと思うものを。 うーん。結構衝撃的だった。そしてきいたら、先生は漫画家になりたくて、親をだまして(といっていた)美大に入ったんだって。ふーん。

 これも交換して読んだ。 そして奥深さや、少女向けだからって手をださないなんてこととはとてももったいないことだ、と知ったのだ。そして次のお小遣いから、古本屋で叩き売られていた少女小説や少女マンガをどれでも適当に買いあさって読むことを知る。 先生も、自分の棚から出してきたららしい本が尽きると、あたららしい本なんかも手当たりしだいもってくるようになって、なんかごちゃごちゃとよんだ。

 中にはボーイズラブ風味……今ほど濃くないボーイズラブだったけど、なんというか「女の子向けのほうがえっちだなぁ」なんてのがけっこーあった。なんか先生は妙にボーイズラブに詳しくっていろいろと読んだ。あの空間で先生とボーイズラブ小説。きけば「なんて異常なことを」と思うかもしれないけど、僕にとってはごく自然というか、当たり前だったのでそれ以上でもそれ以下でもないとしかいえないというか、授業が終わって、とぼとぼと放送室にいく。そして本を広げているといつの間にか職員室の直通のドアから入ってきた先生がいて、本を読んでる。気が向いたら交換する。当たり前の日常の一部で。

 先生は、僕と一緒に入学して、僕が卒業するとともに転任したので、いっちゃえば先生というより友人の一人、みたいな、そんな感じだった。……っていうか、ここにかけないようなこともあったりとかまぁごにょごにょ。

 先生からみればすごく子供だった僕を、先生はよく付き合ってくれたなと思う。……どれぐらいかというと、なんというかその空間を壊したくなくて、気づかない振りをして、読み終わった本を再び頭からめくって、集中した振りをして……先生に車で送ってもらうようなことを何回もした。先生の車はすごく乗り心地がよくて、やっぱり先生のところは金持ちだなぁ、この大嬢め。と送ってもらうように仕向けたくせに、そんなことをおもったりもした。


 なんというか書いていて切なくなってきたなぁ。なんでだろ。 まぁいいか。

 その先生は今では進学校の教師の傍ら、画を書いているらしい。っていうか似顔絵の油絵なんてもらってもこまるんですが(汗 といいつつ、保険医の先生を嫁にもらい、今ではすっかりいいだんな様をやっているといっていた

Q.3☆得意科目は?

 得意科目かぁ……。一番は情報処理かなぁ。やっぱり。生物の教師のへんなおっさん……いやだってほんとうにへんなおっさんだったのだけれど、そのおっさんにいろいろと聞いた。中学時代。
 え? お前の世代では中学時代に情報処理なんて科目はないだろうと? いやまぁそのとおりなんだけれどなんか理科準備室にはでっかいコンピュータが置いてあって、それがなんかしらんですが入り浸っていたんだよなぁ……。 先生は一応整えてはいたけれどひげ図らの大男で、そのとき僕がはいていた上履とそう大差ない靴をはいていて、あんまり手先が器用じゃなかったのか、なんかいつも靴紐がほどけていたような、そんな変なところばかり印象に残っている。
 で、その先生は一応理科の先生だったのだけれど、そんなことほっといて、理科というかコンピュータのこととかに興味のあるやつら(これも野郎ばかりだったので、先生は泣いて喜んでいた)をあつめていろいろ妙な話をしたり、コンピュータに触らせたりしてくれた。
 コンピュータは当時でたばっかりのWindows95が入っているのが一台あって、そのほかはなんか真っ黒に緑色の文字が出てくる、CUIの端末がごろごろおいてあった。というのは、今思い出してわかるわけで、僕にとってはそのなんとなくごそごそ動くWindowsより、そのコマンドを打つと帰ってくる、という物体がなんか特別でそっちのほうに興味をもって、なんどカタカタやっていたような覚えがある。
 他の奴らはキレイなWindowsのほうが良かったみたいで、そっちをいじっていたのだが、そうじゃない僕のことを先生は妙に――今で言うところの生暖かい目で見ていたような……。
 そういえばその先生はうそをいっていろいろ楽しませてくれたが、それがSF……というよりべたべたで「空想科学」というほうがふさわしい雰囲気だったが、そんな話をしてくれた。たとえばすべてのコンピュータの根底に潜む「ばっくどあ」とかいうものがあって、それを昔の人がそっとしかけたのが今の標準になっているとか。だけれど仕掛けた人は今はそのことを忘れてゆっくり余生をすごしているとかで、今は使えるのは一人だけらしい。
 なんというかテンポがよくて思い出しながら話すから、なんかリアリティがあって、ついつい聞き込んじゃうんだけれど、その話の最後でいつも目が覚める。なんでかって、その先生の話はいつもそうで、この場合だと「だからその「ばっくどあ」は俺しか使えないんだ、やろうと思えばなんでもできちゃんだぞ、ほら、えらいだろう」って、結局は全部先生がやったってことになちゃうから。はじめはそんなこんなで笑っていたが、終いにはなんかあきれるやら難やら。
 他にも火星人はいなかったけれど、木星の衛星……なんていったっけ、えうろばとかいったっけ、そこにすでに生命がいて、って話まではよかったけれど、そのえうろば人と話をするためのプログラムは俺が書いたんだぞーとか、そんなわけのわからないことばかり言ってた。

 そんなわけのわからないことを言っていたせいか、先生はなんか中学二年の秋に急にご退職なさり、あとかたもなく消えてしまった。きっとクビだぜ、と友達と言い合っていたけれど、そこになんとなく集まっていた僕を含めた野郎共はなんとなくしょぼんとしちゃって、なんか放課後が暇になっちゃったと……。

 そうそう、これは秘密なのだが、もう時効なので書いちゃうと、先生は、やめる前に僕に一枚のCDを渡してくれた。家でパソコンを買ってもらったら、使ってみろ、って。レーベルには何も書いてなくて反射層がむき出しになっただけのもの。どうも僕だけにくれたらしいので秘密。
 だけれど、なんで時効かというと、結局それはなんかえっちな絵のゲームだったから(ぉ なんか大して絵もきれいじゃないし、なんか今見るとぜんぜんだめだけれど。それに数枚絵があるだけで、ストーリーも短くて音声もなくて。フロッピー一枚に入る程度しか容量がないのに。そのころはまだフロッピーが主流だったはずで、なんでCDでくれたのかがちょっと今でも疑問。
 でもなんとなくいまでも大切にしまってありこうして手元に……あれ? よく見るとこれ、CD-Rだ。 あら。かれこれ7年近く前なんだけれど、そのころから普通にCD-R機械ってあったっけ? まぁあの髭なら持っていそうだけれど。にしても、これっぽっちのゲームにしては、なんかえらく焼けている範囲が広いなぁ。

Q.4☆苦手科目は?


 苦手科目。それはずばり、えーご。 英語です。外国語。 生徒の中では「日本語的発音ではデー」というのをよくいうので「デーデー」と読んでいた先生が担当で、中学一年にその先生の下に付いたのが敗因だといまでも思ってる。ていうか今時の若者は「デー」なんて発音はしませんよ。
 だけれど、中学二年の時にはそれをちょっと後悔したりした。なんでかというと、AET、ネイティブスピーカーの、英語を母国語に持つ先生が来たからで……もっというと彼女は美しい銀髪の英国人だったのだ。その先生が話す英語はすごくかちりとはまっていてデーデーとは大違いで、すごく良く通る声で、だけれどあんまりまともにやってこなかったからまともにコミュニケーションもとれず――第一、先生の周りにはいつも女子が集っていて野郎など入る隙もなかったし――ちょっと残念だなぁ、と、たまに音楽雑誌の表紙で彼女を見るたびに、後悔したりとか。


Q.5☆思い出に残ってる学校行事3つは?


 一つ目は、サマーキャンプ、というのが小学校時代にあって、そのれかなぁ。 小学校五年生の時。 キャンプって言ったって、学校のある自治体が運営する山の気を適当に間引いただけのような、まばらに広葉樹が茂っているような公園でキャンプをするだけなのだけれど。

 なんで思い出に残っているのかっていうと、その……例の「放送室で」の彼女が、そのときたまたま同じ班に振り分けられたことがきっかけで……みたいな話なんですけどね。まだ、小学生だったからあたりまえだけれど、男子も女子もなくって同じテントで寝袋に包まって。背中にごつごつ石が当たる感覚で、寝袋なんかがあってもすごく寝心地が悪くって。だけど隣には彼女が気持ちよさそうに寝息を立てていて。 夏だから、寝袋の前はちょっと大きく明けていて。中はTシャツで。 月明かりがテントを通してオレンジ色のに彼女を照らして。女の子はちゃんとリンスとかしてるみたいで清潔そうなにおいがして。

 身動きができなくって。なんか妙に目がさえちゃって。他の奴らは薄情にも……いや、幸運にもというべきかもしれないがもうねむっちゃってて。朝体中痛くってもうたいへんだったことを覚えてる。


 二つ目は、中学時代の読書週間? かなぁ。これは、思い出は思い出といっても、苦い思い出かもしれない。 ていうか、悪いことをしたって、今でも悔やんでいること。
 中学二年になって、理科室には妙なコンピュータも置いてなくなって、暇になった僕だったけれど、所属していた放送部はそれほどやることがあるわけじゃなかったし、昼休みや放課後をもてあましていた。
 二年の秋になって、読書週間というものがあった。今からは考えられないけれど、そのころ本を読まなかった僕は、それがなんとなくぼんやりと「本をよむのやだなぁ」という意味もなくだるくおもっていたりしたのだけれど、なんかそのときになって、クラスでぜんぜん知らない女子に声をかけられた。「ちゃんと読書週間なんだから本を読んでください」なによ……だりいなぁ。と思って見上げるとそのこはちょっとびくっとして、「と、図書委員です。き、来てください」って、なし崩し的に図書館へと連れて行かれたのだった。
 ぜんぜん乗り気じゃなかった。うちの学校では子供だましの児童文学集とか、古ぼけて一冊抜けている海外推理小説とか、そんなものしかなくって、どれも厚くって初めて手に取るには引いてしまうものばかりだったからだ。
 だけれど、めがねの奥にある意思の強そうな瞳にじっと本を選ぶところを見られていると、もうどうしょうも逃げようもなくって、いよいよ観念した僕は、彼女に「えっと、あんまり本とか読まないからよくわからなくて、おすすめとかあったら」彼女はじっとこっちを見ていた。なんにも反応を示さないように見える彼女に「おしえてください……」とフェードアウト。そしたら、彼女は「はい」ってなんかすごく小さな声で言って、それじゃあこれを、と一冊の本を僕に差し出したのだ。
 それが、高畑京一郎著『タイム・リープ』だった。 漫画のような絵に、薄い文庫版。 図書館で分厚い本を抱えているのが似合いそうで、きっとものすごく厚いものが出てくるだろうと覚悟していた僕は、少し拍子抜けしながらもそれを借りて……そして、すぐにはまったのだった。

 初めて「上下巻」の小説を読みきって、ふと見たら、そこには貸し出しカードも、蔵書印もおしてなくて、あぁ、これってあの人が貸してくれたんだ、ってちょっと思って、それからかな。細く細く編み上げた髪が小柄な背中でゆらゆらとゆれるのをみながら、彼女が本を選んでくれるのを待って、そしてそれを借りていって本を読むようになったのは。
 だから、彼女は本読みとしての僕の生みの親だったりする。彼女は本、それも物語のことについて話をするときはすごく雄弁で、すごくいきいきと本のことを話をしていた。なんていうかな、本当に本が好き、本を読むのが好き、ってそんな感じだった。
 本を嫌いな人が増えている、なんていうけど、それは本を好きな人が身近にいないからなんじゃないかって思う。それは、本を好きな彼女のそばにいて、自分が本を読むようになった、本好きになった。ということからくる話なのだけれど。

 だけど、彼女のことを思い出すと、記憶のすみっこのほうに引っかかっている泣き顔が、頭の中にうかんできて、すごく苦しくなる。それは、これから本格的に受験シーズンに突入する寸前に、図書館の奥の棚で。

 だけど、僕は変なものがあった。いわく、女と付き合うなんてかっこ悪いとか、そういう意味もない考え方だ。行ってしまえばガキだったのだどうしょうもなく。 だから彼女ともあまり人が来ない図書館でしか会わなかったし。だけれど、彼女は「そうだよね」っていって、ぐにゃりと顔をゆがめて……手で覆ってなにごとかつぶやくように行って、行ってしまった。 なんというか「どうしようもない」というものを、初めて自分でやってしまった、という間隔があって、なんと言うかそのことを思い出すとなんか喉のおくがひりひりと渇いてきて、心臓が踊ってきて、手が、言うことを聞かなくなるって言うか、そんな感じがする。
 もしかしたら僕が図書館をあんまり利用しないのって、それがあるかもしれない。それからだ。本は図書館で借りるのではなく、自分で買って、必ず自分の下へとどめておくようにしているのは。


 みっつめは、高校三年の文化祭だろうか。 もう受験に入っていた僕らはもうほとんど何もしない、後輩たちがいろいろする文化祭。僕はすでに部活を引退していたけれど人材難っていうか都合のいい人がいない放送部だったので、本部の横につめて、呼び出しの放送をしたりしながらぼんやりやっていた。
 文化祭は「先生のお手伝い部」はほとんど出ないが、そうじゃない活発な部が相当気合をいれてやるのでかなりにぎやかで、範囲の文化祭の中では非常に活発だった。なんてったって地元のテレビ局が取材にくるほどで。テレビ局ってケーブルテレビじゃない。ちゃんとした都会の系列局のテレビ局がだ。だから、さわがしくって、放送で流さないといけないことはいくらでもあって、当然僕は本部に釘付けで、変わる人はいなかったしちょっと窓の外をみながらじりじりしながら放送をしていた。
 放送室はこちらですか、というどこかで聞いたことがある声とともに、一人の女の人が入り口から放送室を覗き込んでいた。はい、そうです。なにか御用でしょうか、というと彼女は、しつれいします、と丁寧に言ってから、中に入ってきた。
 いつもと違って、場所ごとに別々の放送を流すから、普段よりいろいろと機材が出ていてごちゃごちゃしている中を彼女がひょいひょいひょい、とこちらにやってくると、僕はようやくそのときになって彼女が誰だか気づいた。あ。夕方のテレビの人。アナウンサー。

 彼女は「わぁー、ここってこのまんまなんだねー」とテレビと同じ声でいった。「私もここの出身なの、放送部員だったのよ」 びっくりした。彼女はいとおしそうに古い機材をなでた。なぜか校章がついているマイク。ぶっとくでっかいプラグで使うヘッドフォン。 細長い部屋の長辺の壁をいっぱいに使う巨大なスクリーン。
 「他の部員は?」と聞かれて「部員は今二人しかいませんが、二人とも今はここにはいません」と正直に答える。僕はもう部員じゃありません、もう引退した三年生です。と。 そうすると、彼女はなんとも苦いような顔になって、勝手にいすを引き寄せると、そこに座った。 とりあえずコーヒー、と声を出す。


 彼女がいたころは、放送部はまだ活気があったらしい。 ベータカムを使って番組を作り、それを放送番組コンクールに出展して、その賞金で学校にプロジェクターを買ったのだ、という話。 そのときに、今のようにただ音楽をかけて「早く帰れ」というだけの放送ではなく、明日の予定なども含めて放送する「帰宅のニュース」ともいええる放送を流していたなごりで、今、放送部の小さな放送があるらしかった。

 今は、その伝統をあなた一人で担っているわけだね。と、彼女はテレビの印象そのままに、ハキハキと話した。そして、パンツスーツの足を、ゆっくりと組みかえる。

「ごめんね迷惑かけて」彼女は一通り話、根掘り葉掘りこちらの今の状況を聞いた後、そう口を開いた。「そんなふうになっちゃうなんて思っても見なかったから」
「いえ、そんなことないですよ」思わず僕はそういっていた。「そんなにその仕事嫌いじゃないです。僕は僕で選んで入ってきた変わり者ですから」 そうね、と彼女は笑った。ありがと、などという。

 がちゃり、と職員室とつながるドアが開くと、ぬそ、と教頭がそこにたっていた。先生は彼女の存在を認めると、「ぬ」と声を上げ会釈をして、メモを僕にわたした。呼び出しか。

 そのあと、すごくきれいな声が、学校中に二年の新聞部員を呼び出したのだった。

Q.6☆クラスでのキャラは?

 自分のことは自分じゃあよくわからないなぁ……。 僕はなんというかあんまり友達とわーっと騒ぐのが好きじゃなくって、どちらかというと一人の友人とかとなんとなくぼんやり話をしながら、とかそんな感じがおおかったから。……って、よく考えると人間観察なんかをやっているタイプだったのかも戸か思う。なんかいつも人ばっかみていたような。
 そういえば、僕が他の人と話をしていると、なぜかそれに和って入ってくる人がいなかったりした。なんでだろ。

Q.7☆学生時代の呼び名は?

 たいてい苗字呼び捨てだったかな。なぜか小学校のときから層だった気がする。なんか聞いたら「お前はそういうキャラだ」って悪友の一人が言っていたけど、それってどういう意味だろ。

Q.8☆好きな給食メニューは?

 個人的には、給食にはあんまりいい思い出はありませんな。 給食食べなきゃ遊びに行けないと。そして鬼のような先生がこちらを見ているのです。
 しょうがなくて机の中におかずを隠したのですが、そのあと、掃除の時間にだれかがその机をこかそうものなら「筆箱」「教科書」「消しゴム」「にんじん」……うぐ。

 カレーだけが生きがいでした。って、"ONIGUNSO"かよ!

Q.9☆学生時代の友人はあなたにとってどんな存在?

 一期一会。一撃離脱で去っていった人。って思っていたけれど、今になって、なんとなく連絡を取り合ったりしている。なんか妙な感じ。学生時代とはまた違った付き合いがあって、不思議な感じです。

Q.10☆次にバトンを渡す5人は?

考えさせてください。

……


………………
…………………………
……………………………………
………………………………………………


 え〜っと。阿呆とでもなんとでも言ってください。(ぉ
 てかこんなこと書いているから遅くなるんだという。いや、その、大変もうしわけありません。 しかしなぁ、自分がまともに書いてもアレだしとかいろいろ。

 怖いもの見たさの人は以下どうぞ。


 しかしまぁその……うーん。これが自分のところに来るか……うぬぬ。うーむ。自分はなぁ。かなり特殊だからなぁあんまり小中高は普通じゃなかったからなぁ。つうわけで、怖いものが見たい方は以下どうぞ。そうじゃなかったらスルーしてください。いやものすごい勢いで。

さて、何のこといっているかというと自分は小学校5年から中学卒業まで不登校で通し、その後高校時代は通信制高校だったというわけでありまして。いやはや、けっこーいろいろありましたが普通に言う「がっこーぎょうじ」ってのはなぁ。

Q.1☆小、中、高の中で1番思い出深い時期は?
 思い出深いというかアレなら一番やばかった時期でありますがねぇ……んなんこと書いてもしょうがないのでまぁこのぐらいで。
 思い出深いというより半分トラウマじゃ、という話もありますがまぁそのあの。なんというか深淵を一度のぞいたりとかいろいろして、今じゃ自分じゃ踏み台にしているつもり。ただ、突き抜けているつもりだけど、やっぱりそれは確実に会ってとかまぁともかく。
Q.2☆1番お世話になった先生は?
 中学校時代のK.m先生。相談室にいたスクールカウンセラー的な役割をしていた、ベテランで校長のあと退職し臨時職員できていた先生。当時は今ほどスクールカウンセラーが各学校に配置されているような時代でなかったのだけれど、今思うとあれは生徒のためのアドバイザーというより先生のためのアドバイザーだったのではないかなぁ、と思ったりとか。  年賀状だけの挨拶になってしまっていますが……。
Q.3☆得意科目は?
 地理、世界史、日本史、現代文かなぁ。 ただし、年表丸暗記とか作家の生年没年を暗記とかはさっぱりだめ。ゆえに得意というより好きな科目、なのかなぁ。だけど成績としてはこのあたりが一番まともだった。(当時始まったばかりの「情報処理」は除く……いやだって指定にあった文書をワープロでうつだけだもの)
 どちらも高校の科目で、通信制高校出身の自分はあんまり教師との接点がなかったのだが、先生がなぁ。非常に面白い先生だったのであります。個性豊かで。
 特に社会科の先生は面白かった。通信制だと先生に授業を受ける時間が少なかったのだが、地理の先生は授業のときに自分がその場に言ってきた写真を回したりといろいろとその国の自分の印象を語ってみたりと変な先生だった。いつもスーツにノーネクタイ。左手はいつもポケットに手を突っ込んでいたのだが、あれは手がちょっと不住だからだそうだったのだが、そんなスタイルで。
 世界史の先生は余計なことをようしゃべる先生だった。で、「普通ではな、近代は時間がなくなるが、通信制だときっちり最後までやれるんだぞ」というのが口癖で。
 日本史の先生は「レポートの解説に関しては日本史通信(プリント)を見てください」と冒頭に行ったっきり、大してその範囲と関係のない話を延々と続けてみたりという先生でありましたなぁ。あの大河ドラマはだめだったとかよかったとか。戦国武将には男色家(実際にはもうちょっと下品な表現)がおおかったんだぞ、とか。戦場には女性がこれなかったから美少年がどうのとか。
 現代文も先生が非常によく。同時に担任だったのでありますが、なんかこう作品について語るときになんか読者の視点でこう評論とかじゃなくって感想といった先生の言葉で各幹事がよかったかんじでありますなぁ。ちなみに古文のほうも同じ先生なのでありますが、古文は苦手なのでまぁアレでありますな。印象に残っている名言は。先生が、そのときたしか古文だかで「平家物語」だったのでありますが。おばさんたちが「平家物語って長くて全文読むには……」みたいな話をしていたのところに先生が来て「あれはですね」と話をしていたのだが、そのとき「いやぁ、光源氏の生き方というか平家物語は男の夢なんですよ」と言っておばさんたちにものすごい勢いで反発を食らっていたのが印象でしたなぁ(ぉ
Q.4☆苦手科目は?
 数学。科学。教科としてはだめだめでした。暗記多すぎ。 ただ、仕組みとかを読んだり理屈を見たりするのは好きだったりと。
Q.5☆思い出に残ってる学校行事3つは?
 うーむ……難しいなぁ。行事らしい行事はあんまり参加していなかったからなぁ……。  言うならば小学校の卒業式? その当時もうすでに不登校だった自分なのだが、そこで非常にいろいろふりしぼって卒業式だけは出席したことか。
 次は、高校の入学手続きに行ったときかな。すごくよく覚えている。
 一階の昇降口から三階に上がり。渡り廊下のようなところで壁面は腰から上がガラス張り。春の日差しがなかなかあたたかく。
 そのときは母と来ていた。結構早めに言ったのだが、すでにかなりの人が並んでいる。
 何の変哲もないけれど、学校以外ではあまり見ることのできないパイプを曲げた、偽者の木目が印刷された台。そこに、変哲もないおじさんとおばさんが座っているのが見える。列は、そこからふらふらふらとゆらぐように伸びている。

 その中には自分のように明らかに不登校とかそういう人らしきのもいて、ものすごい年上の人もいた。なんかはっきりって学校というかんじなくって、言うなればなんかの役所で手続きをやっている列みたいなそんなかんじで。

 母と来ていた自分は、なんかこういっぱいいっぱいで。だけど、浮遊しているもう一人の自分が上から冷静に見ているような。なんか空間があらゆる意味で自分を試している、試そうとしている、そういう空間で。
 ぼんやりと並んでいたら、「きーんこーんかーんこーん」という学校でおなじみのチャイムがながれて。それでみなさんざわざわと「あーなつかしいな」とか大きな声で言う人もいたし、にこにこと聴いていたりした人もいたし。
 自分はなんかこうぐっときちゃって。あーここは学校なんだーみたいな。なんか泣けてきちゃう感じでした。
Q.6☆クラスでのキャラは?
 うーむ。クラスと言ってもなぁ……だいたい一人でいたような人だったのだが……。なんというかなぁ、あだ名とか特につけられず、常に「○○さん」と呼ばれるみたいなそういう感じでありますな……。きゃらが硬いというか。
Q.7☆学生時代の呼び名は?
 たいてい苗字に「さん」または「くん」
Q.8☆好きな給食メニューは?
 ゆかりごはん?  あとはミートソースにソフト麺。(※当時はちょうど通常の麺と細めんと分かれる寸前だった)
Q.9☆学生時代の友人はあなたにとってどんな存在?
 生涯の友。  父なんかを見ていてもそう思うしなぁ。
Q.10☆次にバトンを渡す5人は?
 とりあえず保留で。

うーん。重い。重いよ。てなわけで、ネタに走ったわけでした。まぁそのいろいろね。