高森太郎の日記。

高森太郎の日記です。

ICタグで安全安心?

 今日だったか昨日だったか、新聞で「ICタグ(電子荷札)」という約が掲載されていたのが非常に気になった。りと、先日の児童殺人事件からいろいろな動きが歩きがして、非常に気になる。

 というわけで、そのあたり自分が気になることを書いてみる。

  • RFIDタグは、読み取るものがなければ場所を認めることは出来ない。したがって全地球で利用可能なものではないため、その地域を抜けてしまえば利用不可能になる。
  • RFIDは、それがその読み取り用の機器がある場所を通過した、ということか分からない。

 というわけで、いつでもどこでもと場所を特定するのは無理である。場所を通過した、よくできてどちらの方向に通過した、ということしかわからない。つまり「すでにそのタグは自らの保護責任範囲を超えた」ということしか分からない可能性が高い。

 つまりこれは、保険なのだ。それぞれのところが、最近教育現場に対する要求が高まり、学校を運営するリスクが高まっていると思って間違いがない。
 そのくせ、少子化により絶対的な市場規模は縮小するのは間違いがない。いや、一人に掛ける費用が上がるという見方があるが、そうすると今度はリスクの上昇を伴ってしまう。 そこで、リスクを緩和するための方法として出たものであると考えられるのだ。


 これは副作用というかこれにより新たに問題が発生しなければ決して悪いことではない。しかし、これに対して「こども達の安全のために」というもっともな言い訳を使って話しているのはどうか、と思っているのである。
 もしこのまま宣伝した場合で、いずれ「RFIDタグを保持していたのにうんぬん」という事件が起こってしまうだろう。それはそうだ。これじたいは警備会社の防犯シールより子供の安全には関係のない代物である。これは設置者、つまり、学校が設置した場合は学校のリスクを軽減するためにあるものだ。
 なので、利用するには過信は禁物である。なので、これだったら防犯ブザーなどのほうが当たり前だが非常に役に立つのである。

 どうも世の中的にはRFIDを単純に、バーコードや三次元コードの代替になるものとしてのみ考えているような人と、逆になにかの発信機のように誤解している人がいる。おそらく発信機のようなものだと誤解している人が安全対策につかえると考えているのであろう。しかし少なくとも特殊なものでない限りそういうことはありえないし、当たり前だがそのような発信機まがいのものを持たせてはいけない。
 落ち着いて考えれば分かるはずだ。もしRFIDタグが発信機のようなものだったとすると「個人を特定するIDを含む電波を発信機のごとく発信している機材」ということになってしまうのである。こんな危ないものこどもに持たせれるわけがない。するならば、非常に特殊な方法にしなければならない。これから十分に普及してくると思われる(冷蔵庫やその他家電にも搭載されようとしている)読取装置出受信すらできないような特殊なものにしなければならないことになってしまう。


 つまり、結論としてICタグは「電子荷札」と略されるようにそれ自体は管理するものである。そして管理するということはそれがすぐ安全につながるはずもない。そして管理することで安全にするということは、非常に厳しく管理する必要がるのである。つまり、町中に読み取りゲートを設置して、通るたびに記録しネットワークで管理。「この次点でタグの反応が消えたので、この周辺にいるはずだ」とするわけである。


 だけどさ、少なくとも自分はこんな社会はいやだ。何が嫌って、「小さくて軽い」ICタグである。それこそぺったり誰かのところに貼り付ければ追跡が出来たりするかもしれないわけで。それこそ公的なサービスとしてはいいけれど、莫大な量になってしまう。

 しかしどうしたらいいんだろうこの辺……。と眠い頭でぼんやりと考える。