売られゆく百合の話。
ある百合の話を聞いてほしい。
少女は、自らの父母がわからなかったが、たくさんの姉妹・兄弟たちに囲まれ、育ての親と、そして冬でも暖かい部屋で、幸せで平和な日々を送っていた。
しかし、平和な日々は、ある寒い朝、育ての義父によって破られる。
義父は、無言で少女を連れ出す。義父を信頼しきっていた少女は身をゆだねるが、しかし、無言で少女を連れていく義父に、いつもと様子が違うことに気づくのも早かった。
ねえ、お義父さん、なにするの? ねえどこにいくの?
義父は少女の意思を確認することもなく、少女を知らない男に引き渡した。 男は裸の少女を縄で縛り、袋に押し入れると、暗い箱の中に入れられ連れされれる。震えることも許されず、暗い箱の中で、単調に揺れる振動の中で、少女は祈るような気持ちでしばらくは育ての義母と義父を思い続けるが、少女をおとなしくさせるために箱に入れられた薬によって、気を失ってしまう。
次に少女が目覚めたのは、凍えるほど寒く、窓の一つもない真白い空間だった。
少女は自分と同じ境遇の物たちが、裸で、窮屈なほどに押し込められ、凍えているのをみて恐怖する。
しかし拒否することもかなわず、少女もその中に押し込められてしまう。
寒く季節もわからず、そしてわずかに与えられるのは管を通して与えられる水と、そして得体の知れぬ薬……。
日も差さぬ無機質な部屋で、暗く冷たく冷やされ、かとおもえば焼けるような真白い不気味な光と熱にさらされる……。少女には思いもつかぬ道具も容赦なく使われた。
時間の感覚も、昼夜の感覚も失い、薬で朦朧とする意識の中、少女は夢とも幻ともわからぬ幻想に惑わされる。
お義母さん、なぜ助けてくれなかったの……
お義父さん、なぜ私を連れ出したの……
寒いよ、寒いよ……。
そしてさらに思考は遡る。あの、たくさんいた姉兄たちはみな、どこに行ったのだろう?
みな、日を経るといつの間にかいなくなってた。そしてまた新しい妹や弟ができるけれど、決して姉たちは帰ってこなかった……。
そして一つの結論にたどりつく。
自分は、帰ってこなかった姉や兄のように、あの温かく、たくさんの姉妹や兄弟たちに囲まれた家に帰ることはできないのだと。
自分は、帰ってこなかった姉や兄のように、育ての親に売られたのだと……。
涙も枯れ、もうどれぐらい時間が経ったのかわからぬほどたったある日、再び少女は裸のまま縛られ、袋に入れられ、箱に押し込まれると再び暗く狭いトラックの荷台で、さらに遠い場所へと連れて行かれる。
そして、少女は、見知らぬ街で下ろされる。そこで待っていた女店主に箱から出され、覆っていたものを剥かれ、そして少女は鏡に映った全裸になった自らの姿を見て驚愕する。あんなに小さかった自らの体が、花のつぼみが、ふくらみ、色を帯びていることに。少女はもう少女ではなく、女としてのつぼみを付けていることをに。
そんな少女を、少女を買い上げた女は、無遠慮に少女のつぼみに触れ、上機嫌にこう告げる。
「ふふふ……珍しいものが手に入ったわ。……この色……つぼみはまだ固いわね……」
そして少女は店の女に少女は、飾り立てられ、そのつぼみを隠すことさえ許されず、その店で一番目立つ位置で、ショーケースの中に入れられ、道行く人々の前にさらされる。見られ、店の女たちに磨かれて、悲しくもさらに美しく成長していった。
たしかの少女は美しかった。その清楚な姿は、いかに売られようとも決して衰えることはなく、人々は少女の美しさに足を止め、魅了された。
自らを値踏みし、欲望に満ちた目で見る者たちの視線に、そして少女はついに最後に気づいてしまうのだ。私は美しいと。そして美しいがゆえに、私は売られ、そして咲いてしまうのだと。
しかし女店主は決して少女を売ろうとはしなかった。少女は美しく、まだ咲くことはなくともそこにいるだけで人を引き寄せた。少女が自ら出さずともそのあふれだすそのみずみずしさ、そのはかなさ、そして清楚ながらもかすかに薫る妖艶な甘い香りが人々を魅了し、引き寄せた。そして引き寄せられたたくさんの者たちは、決して売ろうとしない店の女たちに別の"商品"を進められ、まるで少女の身代わりのように他の"商品"たちが買われていった。
彼女は遠く連れ去られていくその”商品"たちを見るたびに、優しい少女は一人ショーウインドウのなかで、悲しみ、そしてその優しい心をすり減らしていった。
…………
少女が店に売られてきたから、どれぐらいたっていただろうか。ある日、一人の若い女が店に訪れる。そして、その女は少女を見るなり、その疲れた顔をあげ、そして少女に見入る。
その若い女は、男社会の世のすべてから自らを守る鎧のように、一部の隙もなくスーツを着こなし、まるで武器のようにハイヒールを履いていた。とてもこんな店に縁があるようには見えなかったが、彼女は、少女を見つめると、まるで何かに吸い寄せられるようにショーウインドウに顔をよせ、そして少女と見つめ合った。
その後、ふらふらと店に入ると、女店主に詰めよる。少女を売れと。女店主は答える。あれは苦労して買い付けた珍しい商品だ。まだまだ店に飾って、客を集めてもらなきゃならない。あれはまだ青いし、咲かせるのは難しいよと。しかし女はつめよる。お金だったらいくらでも出す。私は、あの子を誰よりも美しく咲かたい。だから譲ってくれと。
そして彼女はその透明な、彼女を衆人に晒すための監獄から連れ出される。女は、高い代償を払い、少女を買い受けいれたのだ。
再び縛られ、袋に入れられ、そして薬を注入された。
そう、私また売られるの。少女の冷え切った心は、もう何も感じなくなっていた。
連れられた場所は、明るい大きな窓のある部屋だった。女は、少女をそこに連れ入れると、縄をほどき、そしてずっとつけられていた袋を外される。
そこは当たり前の、暖かい部屋だった。もちろんそこには透明な檻もなく、空と遠い水平線を映す大きな窓があるだけ。
今までの人の欲望に満ちた視線がすべての世界から、温かく変わった世界に少女は戸惑い、身を震わせる。
なに、私をどうするつもりなの。
おびえる少女に、女は笑いかける。
今日からここはあなたのうちよ。
ずっと大切に面倒をみてあげるからね。
女の技術は確かだった。心を解きほぐすように優しく、少女に触れた。決してその檻から出ることは許さなかったのは、今まで少女が通ってきた人々と同じであったが、その檻はいつも温かく、日差しがさす昼にはベランダで日の光を浴びることができたし、寒い夜は必ず部屋へと招き入れられ、放置されるようなことはなかった。
違うわ。貴女もきっと私を売る。お義母さんみたいに。お義父さんみたいに。
女の優しさは、今まで少女が感じたすべての優しさと違っていた。彼女のその優しさは、それは自らの所有物として少女に自分を押し付ける……自らの色に染めようとする乱暴さと、長く所有し続けることを望む優しい欲望が混ざっていた。
私の手の中で、あなたは咲くのよ
……
私の手の中で、美しく咲いて
女は少女に、まるで暖かい蜜のような薬を与えた。少女は、それで体が熱くなるのを感じた。
少女は夜。その暖かい檻の中で、ついに、女の前で、その体を咲かせた……。
白く清楚な花だった。
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はてなブックマークコメントと文章表現と誤解
最近再びブックマークを使うようになった。というのはまぁ事情としてはいろいろあるのだが、そんな中で「ブックマークコメント独特の理解のされかた」についてちょっと思ったことがあり書いてみる。
先日、ITmediaに「吉本興業がJ-CASTに抗議 松本人志さんのラジオ発言に関する報道で」という記事が載った。で、自分はこれについて「いや、事務所としてこれどうよ」と思ったこと、また今後動きがあるとすれば興味があったので、ブックマークして以下のようなコメントをつけた。
「発言はともかく、影響力大の日本を代表する芸人の公共のラジオでの発言を「個人の発言」などとする所属事務所の姿勢が問題。その程度の認識で業務をしているのか?本当に個の問題ならいつものように無視すればよい」
これ、ちょうど100文字である。100文字に収まるように文章をいろいろと端折っている。というかたいていのコメントは書いていると100文字を超えてしまって、そこから見直したりして100文字に抑えてたりしている。
そして同じ記事にたいしてid:BEW氏が
「ラジオ聴いてないやつだけでしょ、事務所批判って。 ラジオ実際に聴いてるのに無視しない事務所が悪いっていってる人は読解力がなさすぎる。ブックマーカーの風上にも置けない。J-CASTがクソだからお灸を据えるのでOK」
とコメントをしている。(はてなブックマークは当然コメントが変更ができるが、変更されちゃうとこの話はよくわからんところへ発散してしまうので、引用でウェブ魚拓をしておく)
自意識過剰かもしれないが、無視しろというコメントを付けたのは自分のコメントだけだで、なおかつ元記事にはそういった語は出てこないことから、おそらく自分のコメントを踏まえてコメントを書かれているのだろうと思った。
思ったのだが、これどうもかなりの勢いで誤解されているような気がするのである。
自分は「事務所」についてというつもりでコメントした。「問題の発言」については何のコメントもしていないつもりだった。もっというと事務所の危機管理と姿勢についてだ。
ITメディアに掲載された部分しかわからないが、所属事務所は
吉本興業は松本さんの発言について「社会に対する個人の意見の表明の域を出ないもので、問題発言とはとらえていない。ネット上の騒動についてコメントする予定はない」とした上で、「記事は、放送の一部を恣意的に切り取ったもの。ネット上の個人の無責任な発言をいたずらに流布する報道姿勢について、J- CASTに抗議した」としている。
といったとされている。で、これについて、これは事務所の保身だけで、問題の芸人を守ってもいないのではと感じた。
つまりラジオでその場を盛り上げる意図もある、事務所の手配した仕事時間中の発言なのに「個人の意見の表明」などということにて、意図的に事務所は発言に対して直接の責任がないよ、とまず表明しているだけ、結局事務所の保身かよと思ったのだ。つまり「自分の所属芸人ぐらい守ってやれよ」*1と。*2守る気がないなら事務所保身などやめて、下手に抗議せず無視したほうがまだマシだと思ったのだ。抗議することでさらに傷口を広げても無意味だろと。
今になって冷静に考えれば、もうちょっといろいろな考え方もあるが、コメントはブックマークしたときにその時の印象でサクッと書くものであるので(それがブックマークの利点の一つだと思っている)まぁこれはこれでと思う。
が、それに対してid:BEW氏のコメントである。全く伝わってない。何故か。というところでやっと表題の話にはいる。
改めてブックマークのページを見てみる。すると、古いコメントから新しいコメントに来るにしたがって、発言の雰囲気が変わっている。古いものは
- 2008年05月13日 noitseuq noitseuq これが発端で色んなネット媒体が事ある毎に抗議されたりして。その方がネタになるからいいのかも知れないけど。
- 2008年05月13日 WinterMute WinterMute 芸能 吉本がヤクザの本性をあらわにしましたよ、と
- 2008年05月13日 s-miyashita s-miyashita えーと、「ネット上の個人の無責任な発言をいたずらに流布する報道姿勢に抗議した」どこで区切るかよくわからんが、無責任な発言したのは松ちゃんでOK?で、それを流布したのはラジオ?J-CAST?
- 2008年05月14日 lsty lsty お笑い, 情報操作 逆ギレかい。松本人志も随分政治的な存在なんだなあ。/「ネット上の」がどの言葉にかかるのかよく分からない。→「ネット上の個人の無責任な発言をいたずらに流布する報道姿勢に抗議した」
- 2008年05月14日 Masao_hate Masao_hate ないわー 「ネット上の個人の無責任な発言」より、「大きなメディアに出て責任も影響力もある著名人の無責任な発言」のほうが問題だろ、常考……ネットの個人の発言は無責任な放言で、松本氏の発言は社会への一意見なんだ?
等など、抗議に対してというか芸人氏に対し批判的な内容のコメントが比較的多い。が、そのあとのコメントから報道機関側への批判のコメントが増えていく。(その前にもあるが、ブックマークはコメントの変更が可能であるので今はだいぶ変わってる。……自分の記憶程度で申し訳ないが、それより前はほとんど芸人氏に対して批判的な内容が非常に多かった)
で、この流れで自分が書いたコメントを読むと、「事務所は何故その発言を擁護するのか」という意味に読めてしまうのである。つまり、はてなブックマークではそれぞれの短文を違う人物が書き連ねているもので、それぞれ切り離して読むべきものなのに、つなげて読んでしまうと意味が違ってしまっているわけである。
さらにそれに加えて、短くするためにいろいろと端折ったことが、問題を複雑にしたのだろう。
上記のことを含めると自分は
「発言はともかく、影響力大の日本を代表する芸人の公共のラジオでの発言を「個人の発言」などとする所属事務所の姿勢が問題。その程度の認識で業務をしているのか?本当に個の問題ならいつものように無視すればよい」
を
「発言の良い悪いはともかくとして、影響力が非常に大きく批判をうけやすい日本を代表するコメディアンによる、広く聞かれるラジオ番組での発言を「個人の意見の表明」などと問題として切り離す所属事務所の姿勢は、所属している人間を守るという点で問題だと思う。その程度の認識で日々業務をしているということなんだろうか? 本当に個の問題ならよくある報道なのだから、傷口を広げないためにもいつものように無視すればよい」
と書けばよかったのだろうと思う。って長っ。
それによってid:BEW氏がそういったコメントを付けたわけなのだろう。
また、ブックマークをどのあたりに軸足を置いて利用しているかにもよるのかもとも思う。たとえばこのように各記事のブックマークエントリーのページでのコメントに軸足を置く場合と、自分のようにブックマークページに自分のその時の雑感とともに記録しておくことに軸足を置く場合と、コメントの書かれ方やコメントに対する意識もだいぶ変わってくるのだと思う。というか、自分記録に軸足をおくブックマークでコメントを大量に書くというのは実は少数派なのか?
と、まぁぐだぐだと書いてみる昼下がり。まぁその、日々表現力の修行であるということなのだろうか。(なんだそれは ……多様な人々の相手の読解力を期待するより、自らの表現を磨いたほうが良いし早いし。
それからどうでもいい話ですが、「ブックマーカー」は古今東西「しおり」の意味だと思っていたのだけれどいつの間にかカタカナ語になっていたのか?(英語のbookmarkerと「ブックマーカー」は違うものだってことなのか? うーむ。)っていうかいつの間に自分はその「ブックマーカー」とやらの怪しげな集団に所属していることになってるんだろ?自分はブロガーにもブックマーカーにもなったつもりはないのだが……。まぁともかく。
*1:あぁ、こんなところにもSH@PPLEが。これはいいかげん依存症か?(ぉ
*2:一般的にお客様から抗議がきた時に「会社は関係ありません。従業員が勝手にやったことです」などと言っても通じないでしょう。という……いや、事実こういう下らんことをいうやつが世の中にはいるので……というかついこの間合ったので。某社長が間違った寸法で上げてきたので事情を聴いたら「従業員が勝手にやったのでわかりません」と言い放ちやがって……。そのあと聴いたらおまけに社長が社員からこちらに連絡するように依頼された事項を勝手に判断してこちらに通知してこなかったというのが直接の原因らしく、結局はあの社長が全部足を引っ張っていたわけだ。会社は三代目からだめになるというのは本当だなと思うと同時に、従業員の人に同情した。これからは現場の人に直接連絡をとってやろうかと思った次第。 ……まぁ、閑話休題。
ゴールデンウィーク(Golden Week)とは
Google依存度上昇注意報
先ほどハッと気がついたのだが、最近Googleへの依存度がしゃれにならないことになっている。
とりあえず利用しているGoogleのサービスとしては
- 検索は基本的にGoogle。たまに他を使う程度
- ホームはiGoogle
- ニュースはGoogle Newsを使って同じニュースをいろいろなソースで読むのが基本になってる
- Googleデスクトップ以外でまともにファイルを探す気が無くなってきている
- 同じくPicasa以外でまともに画像を探す気が無くなってきている。
- Gmailはすげー使っている
- Google Analyticsも利用中。……あんまりログとか気にしてないけど
- RSSはGoogleリーダー
- Googleドキュメントは表計算が必要なちょっとしたデータがあるとついつい使ってしまう
- Googleカレンダーには私的な予定がぎっしり……。
- 気がつくとGoogle Earthで暇つぶしを……
- 単位換算とか無意識に「198オンスをキロで」などとやってる。
- 荷物の確認は「ヤマト xxxxxxxxxxxxxx」とかやる
- 和英・英和も「和英 猫耳」とかやる。
- Google Pakを使ってる。Google EarthとPicasaの他に……
- はGooglePackで入れてる……。
- Norton Security Scanは他のウイルス対策ソフトと干渉しないからとかいって布教までしてる
うーむ。
特にメールについてはGmailにメールを転送していたりするし依存度はめちゃくちゃ高い。要するにメーラー代わりに使っているようなものなのだが……。
集中を何とか緩和出来ないものだろうかと思って、たとえがRSSリーダーははてなやLivedoorのやつとかいろいろと試したがあんまり使えなかったし、GmailはIMAPが使える事が特に出先で非常に大きい。
カレンダーはいろいろなスケジューラーでGoogleカレンダーへの同期を可能にするソフトがあったりして便利だし。
うーむ。まぁどうしようもないのだけれど、これだけ使い込めば使い込むほどGoogleのアカウントの持つ価値というか重要性は上がっていくわけで……。まぁだからといって結論があるわけでもなくぐだぐだ書いてみる夜更けというか未明。まぁともかく。
■
本日は。
なんとなくSH@PPLE(ISBN:9784829132753)がすでに四回目の読書に入っているわけですがこれは何かの依存症ですか? な感じでありますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
WindowsでGIMPの言語を指定して使う・環境変数「LANG」を無視して使う
最近会社でよくGIMPを使うようになった。
自分が行うフォトレタッチというか画像の加工はそれほど難しいことはやらないので、ぶっちゃけていうと他のもっと機能を限定したわかりやすいフォトレタッチソフトでもよいのだが、とりあえずこれだけ一揃えあれば、それこそCMYKを扱わない限り機能がなくて困るということもないし、高機能だし、さまざまな形式が開けるしで、癖は強いものの、オープンソース陣営で最強のフォトレタッチソフトであるのは間違いない。
のだが、先日ちょっと困ったことがあったので、メモをしておく。以下はWindows 版のGIMPの話である。当然ながら無保証無責任でご利用は自己責任で計画的にお願いします。
通常GIMPはマルチランゲージになっていて、自動的に言語を認識して日本語なりになる。が、これは環境変数も見ているらしく、環境変数内に「LANG」というところに何らかの値が設定されているとその値に従い、さらにそれらが通常の書き方でない場合は、自動的に無視されデフォルトの英語表示になってしまう。
通常は、日本語環境であえて英語でGIMPを使いたいときにここに指定してやることで言語を切り替えたりできるものである。で、特にUNIXでも動作するソフトウエアなどでたまにあるのだが、環境変数のLANGを使っているソフトがある。自分が仕事で使っている三次元CADソフトウエア、Pro/Engineerもそうなのだが、こいつは「LANG」に「Japanse」と入れてやることによって日本語と認識するので、この値が入っているのだが、この状態で素のGIMPを起動すると、通常ではあり得ない値がはいっているためか、デフォルトの英語になってしまい、まぁ使えないことはないのだが日本語にならず困っていた。
しばらくは我慢して使っていたがいい加減アレなので、一番インスタントな方法で改善することにした。簡単に言えば、起動用のバッチファイルを使えばよいのである。というわけで以下のような感じ。
@echo 日本語にてGIMPを起動します。 @echo off set lang=ja path %path%;%programfiles%GIMP-2.0\bin start gimp-2.4.exe
これを適当な名前の拡張子.batで保存(たとえば「Satrt_gimp_ja.bat」とか)してやればよい。すると、日本語で起動するはずだ。*1
またインストールフォルダが標準と違う場合(環境変数 Program Filesフォルダ以下にインストールしていない場合等)、四行目の「cd」よりあとは、GIMPのインストールディレクトリにある「bin」フォルダを指定するようにすればいい。
また、応用として「set lang=ja」の「ja」を「en」等に変更すれば、他の言語で起動することもできるようだ。
また、この方法でたとえば
@echo 日本語にてGIMPを起動します。 @echo off set lang=ja cd "%USERPROFILE%\My Documents" path %path%;%programfiles%GIMP-2.0\bin start gimp-2.4.exe
とかやると、起動した後一番最初に「開く」コマンドで出てくる所も制御が可能だ。*2もちろん四行目のcd以下を希望のディレクトリに変更してやることで好きなフォルダにすることができる。
ちなみに、これは結構基本的な技だが、いろいろと応用が利く。特にUNIX系ソフトウエアと互換性があるオープンソースプロダクトの場合、GIMPに限らずこの方法で言語を制御できることも多いようだ。
さらに、USBメモリに代表されるポータブルストレージに、自分のツールを入れて持って歩いている場合にも、使えることがある。
通常、USBメモリに入れて持って歩けるソフトウエアの条件は
- レジストリを使わない
- 環境依存のセットアップがない
- 汎用ソフトである
- インストールフォルダ以外に設定を保存しない
という程度であって、よくある「ZIPから展開するだけ」系のフリーソフトはだいた持って歩けることになる。
が、よくできたソフトの中には、レジストリは使わないが、Windowsの作法に従って、きちっとマルチユーザーに対応するなどして、設定ファイルをユーザーごとに用意してみたり、%Homepath%以下にプロファイルやデータを保存するようにできているソフトが存在する。
これらは通常使うときは非常にありがたいのだが、ポータブルストレージでツールを持って歩く場合、ユーザー名が同一であることはほとんどないので、そこで起動するたびにいちいち新しいユーザーとして認識されたりして、持って歩けないのである。
ソフトの中にはこういった要望を聞いてくださり、マルチユーザーでなくしたり、ユーザープロファイルを使わない設定が可能なものがるが、そうでないソフトの場合は、今までは無理であった。
が、ここでもこのバッチファイルで環境変数をセットしなおしてやれば、いろいろと出来る。
たとえば、
@echo off rem 環境変数を設定します。 set portable_current_path=%~dp0 set original_homepath = %homepath% set homepath=%portable_current_path%portable_home\hoge set appdata=%potable_current__path%potable_app_data set username=hoge set Programfiles=%portable_current_path%portable_programl_files rem 環境変数設定終わり rem アプリケーションの起動 @echo ○○○をポータブルで起動します cd "%original_homepath%\My Documents" path %path%;%potable_proglamfiles%\hogera start fugafuga.exe
とかやってやれば、アプリケーションに手をつけなくても、環境変数をポータブルストレージ側に保存してやり、常に同じユーザー名の設定で起動することがができる。(とうぜんこのまんまだと動かないわけですが)
まぁいろいろ便利ですよというメモ。当然ながらご利用は計画的に、無保証自己責任ですのでお願いいします。まぁ、いまどきバッチファイルを多様しまくるのもどうよ、という話もありますが皆様いかがお過ごしでしょうか。