ELECOM「金輪際Linuxは使わない」宣言。日経産業新聞にGPLに批判的な記事乗る?
スラッシュドットジャパンにエレコムは金輪際リナックスを使わない という記事が掲載された。これによると、先のエレコムのGPL違反問題に対し、エレコムの関係者は「Linuxの罠にはまった格好」とのべ、また、日経産業新聞社も、GPLに批判的とも取れるきじを掲載したそうである。
……「罠」って、「だったらFreeBSDとか使えばいいじゃん」って言われる罠、みたいな?(違う
う〜ん、エレコムにはそれほど悪いイメージは無かったんだけれども(というかサプライの製品はなかなかいいものを売っていて言いイメージがあったんだけど)ひどい話だな……。
乗せられている場所もスラッシュドットで、新聞を見たわけじゃないからなんともいえないが(というかわざとオンラインに乗せてないのか?ってそんなことはないか)、それにしてもバイアスかかりすぎなような。罠にかかった罠でもなんでもない気がするしな……、あれだよね「Windowsを買ったら、パッケージには複数台にインストールできないって書いてなかったのでインストールしたが、訴えられた。Windowsの罠にはまった格好だ」みたいな。いくらなんでもユーザーをなめ過ぎじゃ。自社製品にだってライセンスつけてるんだろうし。
……あれだよね……Elecomの製品ってどっちかって言うと一般ユーザーが使うものと言うより、ある程度決定力のある人とか、企業の情報システムをつかさどる人とかが購入することも多いだろうけど、そういう人たちって、こういう話聞くとどっちがアレかってすぐ判断付くだろうから……結構影響大きいんじゃ……。
少なくとも、必ずGPLライセンスをつけて売っているバッファローとかアイ・オーデータとかと比べると……なんか歴然の差だよね。同じきのうがあるならまちがいなくバッファローとかアイ・オーデータを買うだろうし。
また、こういった記事を平気で載せる貴社もどうか。論調がどうなっているかわからないが「GPLと言うライセンスが広く知れていないことが今回の問題」とかどうとでも(まぁそれがELECOMという巨大企業がライセンスを知らなくていい、ということには一切ならないが)書きようはあるだろうが。新聞社の場合「知らなかった」ではすまないだろう。というか間違いなくITに弱い貴社が書いたな。せめて詳しいやつに相談すればいいのに……。ELECOMほどの大きな会社が、そんなアホな真似をしないだろうって信じたのかしら。
<追記>
某AC氏が記事の流れを乗せてくださってます。gooで金を払う決済方法が無いので、とりあえずこれを頼りに自分は……
「逆切れ?」
かと思う。
- (始まり)
- E「Lくん、ちょっと君のやつを貸してくれ」
- L「ああ、いいぜ、たくさんの人に見せてあげてるからね。 そのかわり、ほかの人に渡すときは、君も見せてあげてね。いいね、約束できないなら渡さないよそうだ、俺も君のそれでつくったものを買うよ。」
- (受け取るEくん)
- (後日)
- L「ちょっとまてよ〜、それ俺が見せたやつをみて作ったんだろ? みせろよ、そういう約束になってたじゃんかよ〜。俺お前の製品買ったんだぜ」
- E「え〜、いやだ」
- L「お〜いみんな〜(仲間内に)こいつ、俺との約束守らなかったぜ〜、どうするみんな〜XXに言いつけるぅ〜?」
- E「な、なんだよ……わかったよ、見せればいいんだろ見せれば!」
- そしてのちにEくんは……
- (仲間内の席にて)
- E「あいつさ、別に減るもんじゃないんだしタダでくれてもいいのに、なんか約束約束ってうるさいから、見せろ見せろって言ってくるんだよ。だから、みんなLと付き合うのやめたほうがいいぜ。セキュリティーホールだって、公開すると下手に見つかるかもしれないし、そうしたら修正する費用がかかるしさ……BとかTとかのほうがタダでくれるし、勝手につくって逃げられるしこれからはLとは付き合うのやめてBかTにするよ」
- N「そうだそうだ、こっちは仕事でやってるんだから、使って何がわるいっていうんだ。そんな厳しくするならつかってやらなければいいんだよ。」
- (それを後で聞いたLくんとその仲間)
- L「おいおい、約束は約束だろ? セキュリティーってじゃあ公開しないとなくなるのかよ。そりゃあないぜ」
みたいな。しかし……ソフトウエアはすべてライセンス。ライセンスが命と言っても過言じゃないかもしれない。
ソフトは、ソフトが入っているメディア(CD-ROMとかDVDとかね)じゃなくて、ソフトを利用する権利を売っている。基本的に自分のだから使う権利は無いけれど、権利を買ってくれたらその権利の契約の部分だけ使わせてあげる、と、権利を売っている。これで、ソフトウエア業界は成り立っている。(基本的にはね)
自分も詳しいわけじゃないけれど、Linuxにも、GPLというライセンス(利用規約)があって、それに同意しないと使えないようになっている。本来は他人のものだから使えないものを、このライセンスに従う、という契約で、使っているわけだ。そして、その約束には「金を払え」というものがなかっただけで、契約は存在する。(FreeBSDなんかの場合、ライセンスがないわけじゃなくて、そこにもある。そこにはたとえば(大雑把に言って)『これを使って何らかの損害をおっても、作った人は責任がないこととする』みたいなことなど規約はある)
で、それを使うときに、使わせてもらっておいて、読んだくせに、いざトラブルになったとたん「ライセンスが厳しすぎて今後問題になる可能性がある」というのは、
- 問題になる、つまりLinuxを使っているものを大量に配布していることを伏せておいて、見つからなかった場合はそのままにしたのか。(この時点でライセンス違反……だと思う)
という疑問が出る。しかし、まぁそこら辺をちゃんとしていて、批判するのは自由ではある。
「GPL汚染」というような言葉も有るくらいで、GPLで公開されたソフトウエアは、事実上*1GPL以外のライセンスにすることが不可能である。(たしか、GPLが新しいものに変わった場合、新しいライセンスに変えることは認められていた……かな?)だから、自社で作ったものを、一切外部に出したくないとか、また、一切ソースを明らかにしたくない、本当にクリティカルなもの(たとえば、ファームウエアの書き換えが不可能だが、止まったり妨害されると本当にやばいところに使われる、など)の場合には使えない、という欠点が有る。(それも考え方次第だが。)
だから、それが危険で有るので、場合によっては不適切だ、だからなんでもかんでもLinuxではだめだ。必用に応じて使い分けろ、という主張ならば、なんの問題もなかったように思うのだが。しかし今回は……こういう風に読めてしまうよなぁ。
記者はどのような意図で記事をまとめたのだろうか。